Posts Tagged ‘不登校’
通信制から都立新宿山吹高校へ #kyouiku #tokyo
様々な 理由があり、高校を転校したい人は多いですが、
中々、環境を変えるというささやかな夢は 実現できません。
だから、毎年、高校中退者は7万人もいるのです。
9月から今の高校に行きたくない、
すぐに環境を変えたい方へ
当NPOの関連団体
ウィッツ青山学園高等学校東京キャンパス+学力会=3月末の都立新宿山吹高校の二年次合格を目指したら どうでしょうか?
今の高校から通信制高校に移れば、単位は認定でき、山吹への受験資格をそろえて、
商業、工業高校から都立新宿山吹高校へ
一学期、通ってみて、「今の高校合わない」って
思っている人は少なくないんです。
特に職業過程(商業、工業など)は
ただ、「高校に入っておけ」的な決め方をしているので、
興味がないと、気力があっても、続かない。
進路変更を考える場合、転学のことをきちんと調べた上で
行動してくださいね。
小、中学のように義務教育ではないので
「高校を辞めたい」と言って、引き止められないケースも少なく有りません。
当NPOの関連団体
ウィッツ青山学園高等学校東京キャンパス+学力会=3月末の都立新宿山吹高校の二年次合格を目指したら どうでしょうか?
今の高校から通信制高校に移れば、単位は認定でき、山吹への受験資格をそろえて、
私の履歴書 中学浪人続編
結局、(中学浪人生の)彼の事情を一時間半くらい聞いた後、私なりの結論が出ました。
彼の態度や学習姿勢はなっていないが、
彼の担任の先生は未経験だったにもかかわらず、彼の進学に対して誠実に指導したとは言えない。
学校の先生は22才から先生と呼ばれていて、社会経験に乏しく、親に対しても威圧的で、
学習の進路を親身に話せる環境を用意してはいなかった。
本人が行きたい高校に行かせるシステムがなく、偏差値という言葉で生徒を手なずけていた。
こんな馬鹿なことがあるだろうか?
「人並みの路線を外れてヤバイけど、どうしてよいのかわからなかった私の小学4年の時と同じだ、何とかしてこの子を救いたい」と
義憤に駆られました。
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平成22年度第二学期都立高等学校補欠募集(転学・編入学)の相談は
NPO高卒支援会による無料教育相談 03-6806-8366
私の履歴書 帰国編
日本に帰ってきて、
卒業が2月、3月に帰ってきたときに、有り付けたバイトはECCの英会話講師でした。
時給3500円で一年契約。 やったぁと思いました。
いろいろ就活していたのですが、時すでに遅かったので、バイトでもやって、外資に入社できればなぁと思っておりました。
昼間からがっつり仕事をしたいということで、教えていたのは有閑マダム達でした。
「なんだおばさんか」と思いつつも、これも、世のため、人のため、主に自分のためと思い。
おもしろく、飽きさせない授業を工夫してやりました。
「あぁ、仕事午前中だけだとあまり稼げないなぁ」と思っていたところに英会話のおばさんの中に息子の英語を見てくれませんか?ということになりました。
「月謝はいかほどですか」と言われ、まるで頭がなかったので、後で答えると言うことになり、
当時、受験雑誌を買って、片っ端から、家庭教師センターに電話をして、
大学を卒業している家庭教師の相場を聞くために電話をかけました。 出てきた答えが、時給一万円。
二時間単位だから、一回行くと二万。と言う相場でした。
「ほんとかよ」と思いながら、その奥さんに「僕は大卒でプロですから一回に時間で2万円です」と。
言った後、高いって言われたらどうしようとか、緊張しておりましたが、
「あ、そんなお安くってよろしいんですか」と言われて、もっと高く言うべきだったのかなぁと思いつつ、家庭教師業をスタートさせました。
教えた第一号はお医者さんの息子で、全く私が居なくてもいいくらい勉強が出来る子供でした。
何だ家庭教師も簡単でいいなぁって思い。次から次に兄弟だ、親戚だ、知人だ、と紹介されて、生活も安定してきたものの、つまらないなぁと思うようになってきました。
出来るやつを教えても歯ごたえがないなぁと思っておりました。
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不登校を救うNPO高卒支援会による無料教育相談 03-6806-8366
不登校からの立ち直り
昨年度、不登校中3生を10人程度、お預かりして都立高校に進学させることができたが、立ち直りのキッカケは高校受験だ。 適応指導教室に行っていた人や担任の先生と折り合いが悪く、まるで接触がない人などもいた。 どんなにマイペースの子供でもやはり高校は行きたいと思っているが、”こんなに学校に行けないと高校へは行けないのでは”という全く希望がないから動けないのだろう。 希望があれば、動く。
都立高校では不登校でも受験でき、合格の可能性が高い高校がいくつかある。 新宿山吹高校や桐ヶ丘、世田谷泉、六本木、大江戸、稔ヶ丘、八王子拓真高校などのチャレンジスクールは昼間定時制で3年間で卒業できる。 これらの学校には不登校枠といったものもあるので準備をしていけば合格する可能性は高い。
高校転校は東京留学で
「あのー、こちらは東京の人しか相談に載って頂けないのですか」
「エエッ、地方だと具体的な高校を案内できないんですよ」
「県立高校はまるで高校転校(転学、転入、編入)を認めないんです」
「そうですよ、東京都立以外は一家転住を原則としていますから」
「親戚が東京にいる場合は転校できますか」
「はい、可能です」
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高校中退の危機を高校転校(転学、転入、編入)で救う相談は
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不登校中学生の皆さんへ新宿山吹高校を目標にしたら
~かつて人気を誇った学校の現状と未来~
①対談 「新宿山吹高校」の復活へ向けて
都立新宿山吹高校は、1991年4月に開校した、都立初の単位制・無学年制の高校。昼夜間開校の定時制課程(普通科、情報科)と通信制課程を併設するユニークな学校として全国的に知られ、多くの受験生が殺到した。しかし近年はその人気にかげりが見え、競争率も低下の一途を辿っている。その原因はどこにあるのか、また人気校へ復活する糸口は何なのか――。今年度から同校の副校長に就任した大川登喜彦さん、同校の本来の魅力を訴えるNPO法人教育支援協会連合会東京支部の杉浦孝宣、同校の卒業生で現在は小学校教諭を務める廣田就子さんの3人が介し、意見を語ってもらった。
進学実績が上がれば、打開策になり得る
杉浦 新宿山吹高校の入試倍率は近年凋落しています。原因はさまざま考えられますが、私はその1つに、偏差値58という数値が未だに一人歩きしていることもあると思います。
大川 そうですね。実際に今はそこまでないので、その数値を見て敬遠されている可能性は大いにあるでしょうね。
杉浦 とくに不登校を経験した生徒は学力に不安を憶え、どうしてもチャレンジスクールに目がいってしまうと思うんです。もっと入りやすい高校ですよ、ということを具体的にPRする必要があるのではないでしょうか。
大川 生徒の質も昔とは変わってきているのも問題です。何でも自主的にやるというのが山吹の特長でもあるんですが、最近は自分の時間割も作れない生徒が増えてきています。結果的にこれが退学者数の多さにつながっていると思います。
廣田 私たちが在学していたころは、その自主性が自慢できるところだったんですが……。ほかの高校に通う友だちに聞くと、受験に関係ない科目を受けることが多く、苦痛だという話をよく耳にしました。でも私たちはどの先生のどの授業を聞けば、受験にも効率がいいというのがわかっていたので、とてもいい高校なんだ、と再認識したものです。
大川 その受験でいうと、この学校の入学者は現在でも約7割が大学・短大への進学を希望しています。昔は受験に向け、自分で教科を選んで時間割を作っていたんです。ところが今はそれもできないから結果的に合格率も低い。
杉浦 それだけ進学希望者が多い状況でしたら、進学重視という面を打ち出す必要はありそうですね。
大川 そうなんです。だから進学校を回って、そこでドロップアウトしたような生徒に再チャレンジの場として活用してもらうというのも1つの手かもしれないと。
杉浦 再チャレンジできるという特長は、建学の精神そのものだと思うんですが、高校中退者が一番出やすい1年次の転編入が認められていないのは残念です。1年生で転編入の募集を行い、偏差値の高い子が入ってきて進学実績が上がれば、打開策になり得ると思います。
本来の山吹の良さを活かした指導を
大川 生徒が学校に来やすい環境作りも大切だと思います。例えば生徒が休んだとき、熱心に電話をかける教員は多いんですが、「どうして来ないの?」という風に聞いてしまう。どうして来ない、といわれても生徒は答えようがないんです。
杉浦 「WHY?」は人に過去の反省を促してしまう。だから私は「HOW」を使うようにしています。「どうしたら明日来ることができるかな」といったニュアンスで。
廣田 山吹高校には、そんな感じで接してくれる先生がたくさんいましたよ。みんなどれだけ救われる思いがしたでしょうか。
大川 だから当校の教員には、本来の山吹の良さを活かした指導をして欲しいと思いますね。全教員がそういう意識を持てるような、組織的な取り組みの必要に迫られているんです。まず中にいる我々が変わることで、どの生徒にも「山吹に来て良かった」と思われるようにしたいんです。
杉浦 山吹高校の“応援団”の1人として、ぜひその改革を望みたいと思います。
山吹は生徒も教員も転換期に来ている
大川 生徒の側の問題をいうと、最近は生徒同士のコミュニケーションがうまくとれていないですね。もともと授業は決まったクラスで受けるわけではなく流動的なので、友達を作りにくいという実態はあるんですが。
廣田 私たちの時代には、入学後すぐに1泊のオリエンテーションに行ったんですが、ああいった行事は今もあるんですか。
大川 今はなくなってしまいました。それも原因の1つなんでしょうか。
廣田 それがあるのとないのでは、友達を作るという観点ではまったく変わってくると思います。飯盒炊飯をしたりグループ活動をしたりして、私自身も振り返れば、あのオリエンテーションのおかげでその後の3年間を充実して過ごすことができたといってもいいくらいです。
杉浦 行けば楽しいし、いい経験になるんでしょうけど、行くまでの決心がつかないんでしょうね。
大川 だから山吹は生徒も教員も転換期に来ていると思っているんです。進学も重視しながら、生徒に生きる力を身につけさせる、そういう学校にできたらと願っています。
廣田 私は山吹高校を卒業したおかげで教師になれたと思っています。私も中学時代、不登校を経験したんですが、本来はそういう生徒が過ごしやすい学校なんです。一度でも挫折を味わって、山吹でじっくり自分と向き合うことができたら、社会に出てからも強い人間になれると思います。
杉浦 そういう部分も学校側はオープンにアピールすべきなんでしょうね。
私の履歴書 Los Angeles vol3 編
本格的に簿記会計の授業に進んだ。当時、大型コンピューターを使って会計処理をするにはといったことを習い、
UnivacやIBMのパンチカードを打ち込んで、自分のバイオリズムや2100年までのカレンダー、
簡単な文字の羅列でモナリザを描くなどをしていました。 習い始めて、そこそこ、Basic,Fortoranなどがわかり始めたとき、
大学のコンピューターがどんどん小さくなり、リンゴのマークのコンピューターが増えていったのを目の当たりにしました、
そうそれが今のアップルの出始めだった。もう少し遅く習い始めていたら、Macにのめり込んでいたかもしれないが、
とりあえず、data processingの単位をゲットしたので、大学の電算室からは足が遠ざかり、難敵の簿記に立ち向かって息ました。
商学部、会計学科を専攻したのだから、当たり前なのだが、
取って初めてわかったのはまるで自分は細かい数字を計算をするのに向いていないと言うことでした。
まだ、今のようにコンピューターが普及していなかったので、
数字をきれいに書くというのが必須でした。というかこのことは試験に直面してわかりました。
何度やってもバランスシートでdebit,creditの値があわない、10時間以上も机に向かって、
何だ、何だ、と考えているうちに腰を痛めてしまい、ぎっくり腰になってしまいました。
痛い中、寝ながら、バランスシートを眺め、途中の計算を見ていたら、どこが違うかわかった。
なんと、数カ所、自分の数字が2→5になっていただけでした。
愕然とした、俺は何でこんな間違いのために、ぎっくり腰になってしまったんだろうと。
翌朝、這いつくばるようにして大学に行き、試験を受けたことを今でも覚えています。
結果は98点 grade A マイナス二点はやはり数字のが汚いということで減点でした。
このようなことが何度かあり、卒業する頃にはすっかり、簿記が嫌いになっていました。
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私の履歴書 Los Angeles vol2 編
アメリカに最初にきて初めて友人と言える人間はゲイだった。一寸ショックです。
こうなったら何かに専念しよう。
体育で選択を取っていたのがサーフィン。 毎週 火曜日の朝 5時半 Hermosa beach集合
担当教官のMr.Kelseyはすごかった。サーフボードにはどんな波でも、正座をして、バランスを崩さず、素早く乗れた。
そこへ行くと私はボードにまたがり、10回のうち、二回くらいしか乗れない、へっぽこサーファーだった.
聞けば、この教師はここの海の地元で育ち、ほぼ毎日、サーフィンをやっていたそうだ。 どうりで。
「Taka must practice swimming」ということになり、ほぼ毎日、プールで5キロから10キロ泳ぐ羽目になってしまった。
ある日のこと、桟橋を越えるほどの高さの波が出ていて、
心の中で「こりゃ、いくら何でも、無理だろ」と思い。帰ろうとしたら 先生から 「How comeなぜ帰るんだい、授業で高さ制限はないんだけど」
私も渋々「Ok Mr.」といってびびりながら海へ、向かっていって、やはり怖いが 何とか沖まで来れた。
やばい高さの波が来て、逃げようと思いきや、乗れてしまったが、体がこちんこちんで敢えなく沈。
海の中に、洋服が強力な洗濯機のなかで洗われている様にグルグルに、アッ、もう駄目だなぁと、
諦めたら、Mr.Kelseyが助けてくれた。 ありがとうございます。何度も岸で食ったものを吐いて、
ボウッと授業を見学していた。 Mr.Kelseyはうまいし、格好良かった。
体育は一般教養だったので一年で終わり、サーフィン、水泳生活も卒業しました。
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私の履歴書 Los Angeles編
Los Angelesへ
アレルギィーを持つ私にとっては最高の気候でした。
カラッとした天気、あつすぎず、寒すぎず、
最初のホームスティ先では気が利かないと言うことで一週間で追い出され、
次のホームスティ先はなんと黒人で母子家庭だった。
掃除、洗濯、皿洗いをする代わり、住居費、食費無料というものだった。
ここの場所からは入学を決めていたカリフォルニア州立大学へは自転車で30分と便利な場所にもあった。
今度は追い出されまいと、
一つ、一つの作業後は奥様に「Is that all right?」と繰り返し聞いたものだった。
満足してくれる場合は決まって「That’s enough」一寸不満だと、
「I’ll show you」って言ってくれてお手本をやって見せてくれたものでした。
一寸たって、大学へ通い始めて、めちゃめちゃに親切にしてくれる黒人と仲良くなった
「Next time, you,come to my house」と言われさらに「My ass is clean」2-3回言われて、Assがわからなかったがとりあえず、
彼のアパートに行った。言ってすべてがわかりました。
ここで質問です。
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彼はゲイだった。
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彼は女だった。
-
彼は麻薬を私に勧めた。
アメリカに最初にきて初めて友人と言える人間が○○○。一寸ショックです。
答えは明日のブログで
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養護学校に行ったときの不安感は今でも”不登校や高校中退”の状態を理解するのに役に立っております。
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